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東京地方裁判所 昭和41年(行ウ)45号 判決 1967年12月22日

原告 鮑東民 外一名

被告 東京入国管理事務所主任審査官

訴訟代理人 小林定人 外五名

主文

被告が原告鮑東民に対し昭和四〇年八月一二日付で、原告鄭浩安に対し同年一〇月九日付でそれぞれなした外国人退去強制令書発付処分は無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

「一、原告両名は、広東省に本籍を有する中国人であるが、いずれも父祖の代に来日して日本で出生し、育つたものである。

二、被告は、原告鮑に対し昭和四〇年八月一二日付で、原告鄭に対し同年一〇月九日付で、いずれも法務大臣の裁決に基いて、出入国管理令第七号該当(ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二七年法律第一二六号)第二条第一項第二号、第二項、所定の在留資格取得の申請をしなかつた)を理由として、退去強制令書の発付処分をなし、そのため原告らは肩書収容所に収容されている。しかしながら右各退去強制令書発付処分は次の理由により無効である。

即ち右昭和二七年法律第一二六号第二条第二項が定める在留資格の取得の申請期間たる昭和二七年四月二八日から三ケ月間は、原告らは強盗致死事件の被疑者乃至被告人として浜松拘置所に勾留されていたものであり、その間何人からも右申請について告知されることもなく、全く知らなかつたのであり、右不知による申請期間の徒過については、全く過失のなかつたものである。

原告らは、右期間中、国の処分として勾留されていたのであり、その間国において右申請の手続につき原告らにこれを教示しない限り、原告らは知りえない状態におかれていたのであるから、国はこれを告知すべきであつたに拘らず、これをなさず、しかも、その結果申請手続をなしえなかつた原告らに対し、不申請を理由に退去強制することは、国の懈怠の責を原告らに転嫁するものであつて、右退去強制令書発付処分は、重大、明白な瑕疵のある無効な処分である。」

と述べた。

被告指定代理人は、請求棄却の判決を求め、

「一、請求原因事実第一項は認める。

二、請求原因事実第二項のうち、被告が法務大臣の裁決に基づき、原告鮑東民に対して昭和四〇年八月一二日付、原告鄭浩安に対して同年一〇月九日付をもつて出入国管理令第二四条第七号該当を理由としてそれぞれ退去強制令書を発付したこと、原告らが現在横浜入国者収容所に収容されていること、原告らが昭和二七年四月二八日から以降の三ケ月間勾留されていたこと(但し昭和二七年四月二八日から同月三〇日までの間は横浜市警察署、五月一日以降は浜松刑務支所である)は、いずれも認めるが、その余の事実は争う。

三、本件各退去強制令書は、原告らが昭和二七年法律第一二六号第二条第二項所定の在留資格取得の申請手続をとることなく、従つて出入国管理令第二二条の二第三項において準用する同令第二〇条第四項の規定による在留資格及び在留期間の記載を受けず、前記法律第一二六号第二条第一項本文所定の期間(昭和二七年四月二八日から六月)を経過して本邦に残留していたので、出入国管理令第二四条第七号に基づいて発付されたものである。仮りに原告らが、法の不知により前記申請をしなかつたとしても、このことは本件処分を違法ならしめるものではない。まして被告には原告らに右手続を教示する義務はないのである。従つて被告の原告らに対してなした退去強制令書発付処分に瑕疵はなく有効である。」

と述べた。

(証拠省略)

理由

一、原告両名が広東省に本籍を有する中国人であり、いずれも父祖の代に来日して日本で出生し、育つたものであること、被告が法務大臣の裁決に基づき、原告鮑東民に対しては昭和四〇年八月一二日付で、原告鄭浩安に対しては同年一〇月九日付で、出入国管理令第二四条第七号該当を理由として各退去強制令書を発付したこと、原告らが現在横浜入国者収容所に収容されていること、原告らが昭和二七年四月二八日から三ケ月間勾留されていたこと(但し、原告両名とも昭和二七年四月二八日は午後一時頃まで横須賀刑務所で服役し、同日の午後一〇時頃以後同月末日までは横浜刑務所に勾留され、ついで同年五月一日以降は、浜松刑務支所に勾留されたものであることが、原告ら各本人尋問の結果により認められる。)、原告らが右勾留期間中、昭和二七年法律第一二六号第二条第二項所定の在留資格取得の申請をしなかつたことは当事者間に争いがない。

右の事実によれば、原告ら両名は、いずれも昭和二七年法律第一二六号第二条第一項第二号にいう昭和二〇年九月二日以前から引き続き外国人として本邦に在留する者であるところ、同条第一項において、右のごとき外国人が引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる期間は、同法律の施行の日である昭和二七年四月二八日から六月と定められ、また、同条第二項によると右期間をこえて在留しようとするものは、法務大臣に対して、同法施行の日即ち昭和二七年四月二八日から三月以内に在留資格の取得の申請をしなければならない旨定められているので、原告らは、昭和二七年四月二八日から三月以内に法務大臣に対して在留資格の取得の申請をして、その資格を取得しない限り、昭和二七年四月二八日から六月しか在留できないこととなるのである。しかるに原告らは同条第二項の在留資格の取得の申請手続をとることなく、同条第一項所定の期間を経過して本邦に残留しているので、被告は右残留が出入国管理令第二四条第七号に該当することを理由として原告らに対して退去強制令書を発付したものである。

二、そこで本件退去強制令書の発付処分の適否について判断する。

成立につき争いのない甲第一乃至第三号証、原告ら各本人尋問の結果を総合すれば、原告らは昭和二四年五月占領軍裁判所であるアメリカ合衆国第八軍第一騎兵師団軍事委員会において、それぞれわが刑法第二四〇条の強盗致死に当る犯罪事実につき、禁錮重労働三〇年に処する旨の有罪の裁判を受け、その確定判決の執行として、その頃から昭和二七年四月二八日平和条約発効にいたるまで、巣鴨刑務所、横須賀刑務所等において服役していたところ、同日午後一〇時頃横須賀刑務所において同刑務所及び横浜地方検察庁の係官から、平和条約発効により軍事裁判の効力が失なわれたことを告げられ、かつ、同刑務所内で釈放の手続をとると同時に同一犯罪につき直ちに再逮捕され、同日の午後一〇時頃から同年五月一日朝まで横浜刑務所の独居房に、同日以降は浜松刑務支所の独居房にそれぞれ被疑者乃至被告人として勾留されていたことが認められ、甲第三号証及び原告ら各本人尋問の結果によれば、原告らは、平和条約発効時前後の前記服役及び拘置を通じて、ラジオの聴取、官報・新聞の閲読等一切許されない状態におかれ、昭和二七年法律第一二六号が昭和二七年四月二八日に公布されたときも、その公布の事実や、その内容について、関係当局からなんら告知されることなく、また他の何びとからも告げられることもなく、その結果、原告らは同法第二条第二項に定める在留資格取得の申請についてはなにも知らぬまま、同項所定の申請期間(期間の末日は昭和二七年七月二八日)を経過したことが認められる。そして、原告ら各本人尋問の結果によれば、同人らの生い立ち、境遇及び日本への永住意思等に照らして、原告らが、もし右勾留中昭和二七年法律第一二六号の制定公布を知る機会が与えられていたならば、必ずや同法第二条第二項に定める在留資格取得の申請をしたであろうことは、ほとんど疑の余地がないものと認められる。以上の認定をくつがえすに足る証拠はない。

してみると、原告らが昭和二七年法律第一二六号第二条第二項所定の在留資格取得の申請手続をすることなく同項所定の期間を経過してしまつたのは、原告らの側に生じた事由に帰すべきものではなく、もつぱら国の行政機関の公権力の行使の結果、原告らが同法の制定公布の事実を知る機会を与えられなかつたことによるものというべきである。もともと、同法第二条第二項の規定は、同条第一項所定の特典のほかに、同項の定めるすべての外国人のため、出入国管理令第二二条の二第二項の特例として、一定期間内において法務大臣に対し、在留資格の取得の申請をなしうる権利を与えたものであるが、このような申請権に関する規定は、その権利を行使しうべき外国人が、同法の制定公布を知りうる機会を国により奪われるようなことのない状態であることを、当然の前提としていることはいうまでもない。従つて、申請権ある外国人が、国の公権力の行使によつて同法の制定公布の事実を知る機会を与えられなかつたため、申請期間を経過したような異常な場合に、当該外国人が、申請期間の経過によつて国(法務大臣)に対する在留資格取得の申請権を喪失すると解することは、国の公権力の行使によつて申請権そのものを奪うことを是認するのにひとしく、甚だしく不合理な解釈であるのみならず、そのような解釈しなければならない特別の理由は見当らないのであつて、同法第二条第二項の解釈としては、右のような異常な場合には、当該外国人は、申請期間を経過したのちにおいても、在留資格の取得の申請権を保有するものと解するのが相当である。ただその場合の申請権の行使や期間をどのように解すべきかについては、もとより同法に直接の規定はないけれども、同法の趣旨を合理的に解するのほかなく、結局、当該外国人が同法第二条第二項の定める申請期間経過後も、なお申請権を保有するものであることを知りうる状態になつた時から、遅滞なく、法務大臣に対して前記在留資格取得の申請をなすべきものと解するのが相当である。

ところで、甲第一乃至第三号証、原告ら各本人尋問の結果を総合すれば、原告らは、同法第二条第二項の申請期間の末日である昭和二七年七月二八日を経過したのちも引続き勾留され、同年同月三〇日に静岡地方裁判所浜松支部で各無期懲役の判決言渡をうけ、東京高等裁判所の控訴棄却の判決を経て、昭和三〇年九月二〇日に最高裁判所の「原判決を破棄する。原告らを各無期懲役に処する。執行を受けた刑のうち二年一一月を各本刑に算入する。」旨の判決をうけこの確定判決の執行として、右勾留に引続き千葉刑務所で服役し、原告鮑は、昭和四〇年一〇月七日に、原告鄭は同年一一月一五日に、未決、既決を通じ、一七年六月にわたる服役ののちそれぞれ釈放されたが、右釈放と同時にいずれも本件退去強制令書の執行をうけたものであつて、原告らは、同年七月に出入国管理令第二四条第七号の違反調査を受けたとき、はじめて係官から前記昭和二七年法律第一二六号の制定、公布の事実が告げられたが、既に申請期間経過後であるから申請権はないものとして扱われたため、原告らが、現在、同法第二条第二項の申請期間経過後においても前記申請権を保有するものであることを知りうる状態になつていないことが認められる。

してみると、被告が原告らに対し、原告らが昭和二七年法律第一二六号第二条第二項所定の申請期間を経過し不法に本邦に残留する者、即ち出入国管理令第二四条第七号該当者であるとして、退去強制処分をすることは、あたかも同令第二二条第三、四項や右法律第二条第二項に定める申請手続が適法に係属しているのに、これを看過または無視して同令第二四条第七号に該当するとして退去強制処分をするのと実質上異ならないのであつて、かかる処分は、在留資格及び在留期間の旅券への記載を受けるなどのためにその前提として適法になされた前掲各法規の定める申請を看過または無視してなされる点において、その処分のよつて立つ基本的要件を欠く無効の処分と解するのが相当である。

よつて、原告らに対する本件退去強制令書発付処分は無効であり、原告らの請求は理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 緒方節郎 小木曾競 佐藤繁)

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